他者を理解する難しさ

人の気持ちを理解することは、痛みを伴う事が多い。

所詮、自分と他人は別の存在であり、感じ方や考え方、全てが異なる事もある。

しかし、人間は相手の立場や気持ちを理解しようと努力する。対話や日常の些細な場面から、相手が何を感じているのか、どう考えているのかを推測する。そうしないと、社会の中でうまくやっていけない場面が多いのかもしれない。

ただ、「本当に理解する」という事は、自分の視点や感覚だけでなく、「自分ならこう思うから、相手もこう思うだろう」という自分視点を捨て、他者の視点や評価をも受け入れる事が必要だ。

とはいえ、自分と他者は、脳の構造や感性が異なるため、完全な理解は難しい。

その「異なる」という前提からスタートしている以上、積み重ねられた経験や思考、感性なども完全に異なる。

この違いは、バタフライエフェクトの様なもので、「初期値鋭敏性」と関連しているとも言える。例えば、ブラジルの蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を引き起こすように、微小な違いが大きな影響を生む事がある。

だからこそ、他者を理解するためには、完全には分かり合えないという事実を受け入れる事から始める必要がある。そして、相手が経験した喜びや苦しみというものに深く共感する事が必要だ。

相手の立場に立って考えたとしても、自分が期待する相手のイメージは容易に崩れる。そのため、他者を理解するにはそのリスクを受け入れる事が必要だ。

それが「他者理解」の真髄だと私は思う。他者を理解する事には痛みが伴う。何故なら、相手を理解しようとする過程で「自分」という基準を超えなければならないからだ。

「自分」という存在を一旦忘れなければ、未知の「他者」には近づけない。

この考えから、表題の結論に至るのだと私は感じる。